人事とごたごたした結果、新卒から12年間働いた会社を辞めることになった話 その1

はじめに

新卒で入社して、12年間働いてたんですけど、なんか会社とごたごたして辞めることになりました。

極度のめんどくさがりゆえに、なんとかレールを外れないよう生きて来た私にとってかなりレアな出来事であり、せっかくなのでここに記録しておこうと思います。

暇な人は読んでくれたら嬉しいな。

 

会社とお仕事について

会社はシステム会社です。色々な会社さんが本業で力を発揮するためにシステムを入れるお手伝いをします。

この業界では珍しく、創業60年くらいの老舗です。従業員は3000人以上。私が入社した時は東証一部上場だったけど、途中で某会社の完全子会社になって上場ではなくなりました。

まあそのくらい手堅くて、プラチナくるみんマークまで取得している会社なんです。

 

その会社で私はSEとして働いていました。

優秀だったかな?活躍できていたかな?よく分かりません。

ただ、まあちゃんとプロジェクトはおさめていましたし、昇給のタイミングも順調だったので、及第点は取れていたのではないかなと思います。

入社12年目というとまさに中堅。新卒の時はお互い頼りなかった同期達も、みんなすっかり貫禄が付いて頼もしく、多分私も多少は貫禄が付いてたのではないでしょうか。

そんな中堅社員に起こった出来事です。

 

事の発端

どうやら私はフレックス制度を使い過ぎてしまったようです。

私はもともと、朝早く起きることと、間に合うように準備して決まった時間に家を出ること、そして満員電車に耐えることがとても苦手でした。新人の頃から苦手で、ずっと苦手なままでした。なんで毎朝会社に行かないといけないんだろう。会社、爆発すればいいのに。

 一応会社にはフレックス制度があり、9:00~14:00がコアタイムとして定められていました。ちなみに定時は8:40です。早い!

僅か20分の猶予ですが、私には大事な20分です。毎朝むりやり起きて、急いで支度をして、ダッシュして、なんとか9:00に間に合っていました。しかしそれをよく思っていない上長にはかなり頻繁に叱られていました。

「社会人にとって、信用は最も大切なものだ。そしてその信用とは、約束を守ること、時間を守ることで培われる。定時に来ないお前は信用を失っている。そもそもお前は自分のことしか考えない」

……なんか余計な人格否定まで受けていたような気もしますが、その上長も私を思って叱ってくれていたらしいです。しかし叱られたくらいで定時に来れるようになったら苦労しません。こちらは毎朝必死で起きてダッシュしての成果なわけです。

 

しかしそんな上長のもとから移動した先の組織はかなり天国でした。新しい組織の上長は

「フレックス?いいよ。フリーフレックスもあるよ」

というタイプでした。フリーフレックスというのは、コアタイムを定めないフレックス制度です。

仕事の面でも、前の上長は圧政タイプで自分の気に入ったやり方以外は認めず、少しでも外れると厳しく叱られましたが(今考えると暇だったのでしょうか)、新しい上長は「仕事のやり方なんて人によって違うよ。正解はないよ」とのことで、とてものびのびと仕事ができました。

 

さて、肝心の出社についてですが、チームのなんとなくのルールで「9:00までに出社する時は連絡不要。9:00を過ぎる時はグループウェアで連絡」となっていました。

私も当初は9:00に間に合うように頑張って達成できていたのですが、だんだん間に合わなくなってきました。これは多分、ギリギリでも間に合った!の負の成功体験を積むことにより、準備に取り掛かる開始時間が遅くなり、ついには間に合わないようになっていくというメカニズムだと思われます。分析できても、翌日はやっぱり遅くなってしまうのがまた難しい所なんですけど。

遅れる時に連絡するのって気が重いんですよね。「ああ、昨日も遅れるって連絡したなあ」と思ったり「いつも遅れる『遅れる仲間』の連絡がない。今日遅れるのは私だけなんだろうか」と思ったり。そうしてついぐずぐずしているうちに時間が経って、9:00直前とか、なんなら数分過ぎてからやっと連絡をしたりしていました。

 

さらには残業が増え、どんどん夜型になって行きました。私は眠りにつくまでの腰が重い、でも一度眠りだすとずっと眠っていたい、という性質があるようです。多分、状態が変化するのが嫌なんだと思います。

そうして夜型になると朝起きられなくなります。起きたらもう8時半、とか。そうなってしまうと現実的な時間をみて「10時に出社します」とか連絡すればいいものを、負い目からつい「9時半頃に出社します」などと、かなり厳しめの時間で連絡してしまうわけです。

当然間に合わないわけで、「でも9時半頃だしな。9:40も9時半頃と言えよう」とかやっていると9:40にも間に合わず、ずるずると10時頃になってしまったりしていました。

そもそも朝起きられない、だるいということも頻繁に起こっていて、自分が単に眠いのか体調が悪いのかもよくわからず、起きられた時間に行く生活を続けていました。さすがにこれは悪かったなと自分でも反省しています。

こうなるとさすがに仕事に支障が出てきたようです。お客様先、社内問わず予め決まっている予定には必ず無遅刻で出席していましたが、特に急ぎの用がない場合はなんとなくの時間で出社していました。その際、社内のメンバーが少し聞きたいことがあるのに聞けない、などが発生していたようです。また、チームの中に数名、朝ちゃんと来てこそという考え方のメンバーがいて、そのようなメンバーのモチベーションへの影響も発生していたようです。

なんにせよ、今のようなよく分からない出勤は続けられないな、ということで上長からの指導の結果、「毎朝9:30に来ることにして、スケジューラにも登録する」ということに落ち着きました。

8:40出社は絶望的、9:00出社が厳しかった私も、9:30出社は不思議とうまくはまり、無理なく続けることができました。

 

しかしそこで上長がぽつりと

「しかしずっと9:30というわけにはいかないからなあ」

とつぶやきます。どうやら上長としては9:30ではなく、せめて9:00には来て欲しいようです。

それなら、と翌日からはまた9:00を目指してみたのですが、間に合わなくなってしまい、間に合わない日は負い目から連絡もできず、ずるずると遅くなってしまう日が出て来ました。

なのでまた予め9:30を出社予定にするとうまくいきます。

しかしまた9:00を目指すと失敗します。

このようなことを繰り返した結果、上長になんとかならない?と言われて、「最大限努力しているのですが、自分の力ではこれが精一杯みたいです。これ以上どうすればいいか分かりません」と答えました。偽らざる本心です。

それに対して上長が提案してくれたのが健康管理室への相談でした。

私も自分の力ではなんともならないことを感じていたため、何かの参考になれば、と軽い気持ちで了承しました。そしてそれが運の尽きだったのです。

<つづく>

復職訓練の記録

復職訓練をしている。
復職訓練とは、就業規則にのっとった勤務が可能な健康状態にあるかどうかを会社および従業員の両方で確認するために、毎朝8:40に会社に行って上長のハンコをもらい、仕事はせず、家にも帰らず、そのあたりの喫茶店や図書館などで1日過ごし、また17:30に会社に行って上長のハンコをもらって家に帰るというおそるべき夏休みのラジオ体操的プログラムである。

私はこれを、1ヶ月の間、ノーミス(遅刻・欠勤なし)で続けないといけない。

 

復職訓練1日目

いきなり寝坊したらどうしよう、と思っていたが、意外と問題なく起きられた。
夫が私の会社のある駅までついてきてくれた。
久しぶりの執務エリアであるが、いなくなっていた期間もたかだか一ヶ月なので、それほど気にすることなく入れた。
一回目のはんこをもらい、この後どうしようかと迷う。
ひとまず、会社の近くのエクセシオールカフェに行き、フレンチトーストとホットコーヒーのモーニングを頼む。しかしあまり食欲がなく、全然喉を通らない。そしてコーヒーを飲んでいたら胃が痛くなってきた。
身体中ばきばきになって終了。
家に帰るとぐったり床に数時間寝転んでいた 。

 

復職訓練2日目

まったくもって起きられない。
無理やり起きたが、頭痛、ふらつき、吐き気がする。
夫が私の会社のある駅までついてきてくれた。
カフェはだめだ、ということがわかったので、図書館に来てみる。古い建物ながらよく手入れされていて意外と居心地がよいが、ネットが遅い。図書館だし、こんなもんだろうか。
インターネット界隈では、自衛隊イラク派遣の日報が読み物として面白いと話題に。
私も読んでみようと思ったが、ネットワーク環境のせいか、朝日新聞のPDFは見れなかったので、Togetterなんかでまとめられていたのを楽しく読む。
私もせっかくだから日記を書いてみようかなと思い、このブログを解説。
お昼ご飯は焼き魚定食。

 

復職訓練3日目

わりとうまく起きられたが、夫が起きなかった。
夫が起きないと、自分も動く気になれないことを発見。
一人で電車に乗って行く。人が多い。
会社につくと、後輩がやってきて絵本を10冊程度プリントアウトした紙をくれた。
何、借りてきて欲しいの?と聞くと
「日中、図書館にいらっしゃると聞いて……一人で図書館に籠もってるのも大変かなと思って。僕、保育士の友達がいて、その子に絵本を教えてもらって、その中から選んだおすすめの本です。よかったら読んでみてください」
と。
なぜ絵本……とは思いつつ、気にかけてくれたのが嬉しい。

昨日と同じ図書館へ。朝早いから、PCコーナー貸し切り状態。
Wi-Fiに繋ぐも、アクセスポイントまでは行くのにインターネットがオフラインになっている状態。色々試したけどなんかだめそうだったから職員さんに言うとルータっぽい機器を再起動してくれた。結果、ストレスのない速度に!
昨日は図書館だからこんなもんかなと思っていたんだけど、単に機器の調子が悪いだけだった。
後から来たおじさんが何事もなくインターネットに接続している様子を見ながら、「ふふ、私が職員さんに言って機器を再起動してもらったおかげだぜ」などと内心で恩をきせる。いや、しかしこのおじさんも繋がらなかったら職員さんに言うのかもしれないし、そもそも色々試そうともしなかった場合は私よりも短い時間であっさり解決した可能性もある。

帰り際、絵本の棚で教えてもらった絵本を探そうとするも、ことごとく存在せず。比較的小さい図書館なので蔵書数が多くないのかもしれない。他の館から取り寄せられる気がするので、予約してみよう。

  

復職訓練4日目

今日はいつも行っている図書館がおやすみ。
ということで、霞が関ビルディングの謎ときクイズラリーに行ってきた。
霞が関ビルディングは日本で最初の高層ビルと聞いていたけど、実際に見てみると大変きれいでで50年の古さを全く感じさせない。
謎ときラリーの最中は多くのビジネスパーソンが活き活きと行き交う敷地内を歩き回る必要があるが、私も会社に行く格好をしてきたのでうまく紛れることができてよかった。私だけ、遊んでいる。
お昼ご飯は、日本酒に力を入れているバルという少し変わったお店でハンバーグ。
これがとても美味しかった。ハンバーグのタネは手作り感のある、玉ねぎの甘みを感じるふわふわな出来で、一方ソースはプロっぽい旨味と深みのある凝った作りで、しかしあくまでも主張しすぎないバランスのとれたもので、とても完成度が高い。お茶碗に入ったご飯を片手にもくもく食べる。
そういえば外食でハンバーグを食べる時は、ご飯がお皿に載ってくることが多い。
お茶碗で食べているのも家ハンバーグ感があるのだな、と気が付く。ガストあたり、オプションでご飯をお茶碗に変更できたら幸せになる人が少し増える気がする。
お昼ご飯の後は、霞が関ビルディング前の広場でひなたぼっこをした。


復職訓練5日目

やっと金曜日!あまり記憶がないが、図書館に行っていたはず。
帰りがけに、隣の課の同僚と一緒になったので駅まで談笑しながら歩く。同僚は
「フレックス制度とか在宅勤務とか、会社で多様な働き方を進めている最中に、なんで今回休職になったのかよく分からない」
と言ってくれた。
私もそう思う。

 

復職訓練6日目

月曜日。
起きるのがとても難しい。
なんとか意識をギリギリ起きている状態に保って30分経過。
声を掛けてもらったり、肩をもんでもらったりして、ようやく身体を動かせるようになった後、ヨガのダウンドックのポーズをとってみる。このポーズをすると、頭に血流が行くのか、少しすっきりするような感じがする。さらに身体が動くようになってきたため、引き続きヨガの太陽礼拝モドキをしてみる。やっと覚醒してきたので、シャワーを浴びる。
時間がなくなってきたので、自分で歯磨きとメイクをするのに並行して、夫が私の髪の毛を乾かしてくれる。時短!
家を出ても大変眠く、会社に着いたらくたくたで、ハンコを押してもらった後、会社の休憩室で1時間程休憩することにした。やっと元気になってきたので図書館へ。

夕方、会社に行くとまた別の同僚が話し掛けて来てくれた。彼も大変朝に弱く、普段はうまく客先直行などで調整してやり過ごしているものの、今日は必要があって久しぶりに8:40に出社したらしい。
「マジ無理っすわ。8:40きつい」
と言っていた。
私もそう思う。
その会話を聞いていた先輩が「毎朝8:40に来てる俺はどうなるんだよ」と言っていたが、それは単に8:40に来れる人ということである。
健康管理室の看護師さんは「みんなね、朝は辛いんだよ」と言っていたが、その辛さは人によって度合いが違うし、そもそもみんな多少なりとも辛いんだったら仕組みの設計からして間違えているような気がする。
朝が得意な人も不得意な人もパフォーマンスよく働けたらいいのになと思う。

 

復職訓練7日目

昨日よりも起きやすかった。頭痛は続いている。
午前中はTULLY'Sで過ごす。
アサイーヨーグルト。おいしい。
お昼過ぎにお蕎麦を食べ、図書館へ。
後輩がおすすめしてくれた絵本をようやっと予約する。2冊ほどはそもそも蔵書になかったが、他の本はほとんど貸出中であった。人気があるんだなあ。それにしてもタイミングが悪く、このままいくとゴールデンウィーク中に届いてしまう。もっと早く取り掛かっていればいいものを。
そうこうしていると夕方になったので、図書館から電車に乗って会社のある駅へ行き、会社へ歩いて行き、ハンコをもらい、また駅まで歩いて帰る。この一日の最後に会社と駅とを往復するのが辛くなってきた。地味に会社が駅から遠いせいで、往復30分くらいかかる。しかも人がとても多くてとても歩きにくい。
だんだん自分は何をしているんだろうという鬱々とした気分になってくる。

 


復職訓練8日目

アラームで目を覚ます。
夫はまだ起きていない。
気を抜いたらしく一瞬で二度寝してしまい、タイマー設定でつくようにしているテレビの音で目が覚める。
夫はまだ起きていない。
そのままテレビを見てしまい、残り15分程度で急いで支度をして出発。
雨がひどかったので、会社の近くのカフェ・ド・クリエでモーニングを食べつつ待機。
飲み物はオレンジジュース。食べ終わって作業をしようとすると、意外なことにフリーWi-Fiがなかった。だからお客さんがシュッとした感じの人が多かったのかもしれない。自分でWi-Fi持ってる系の。
雨はまだやまないので、あまり店は出たくない。ということで、ネットに接続しなくてもできる作業を進める。これはこれで無駄なネットサーフィンを防げていいかもしれない。
なんとなく混みそうな雰囲気が出てきたので、お昼前に図書館に移動。お腹が空いていなかったのでお昼ご飯はなし。
ちょうど雨があがっていてよかった。
図書館に行くのがだんだん嫌になってきた。

いつも低空飛行

子供の頃から朝が苦手だった。

枕元に置いたロボット型の目覚まし時計が「ピッピッピ 時間ですよ」と繰り返すのを、おへそのボタンを押して止められればまだいい方。
大抵は「ピッピッピ 時間ですよ ピッピッピ 時間ですよ ピッピッピ 時間ですよ ピッピッピ 時間ですよ 」を聞きながら、そのまま眠り続けた。

母は朝食やお弁当の準備で忙しいので、父が起こしに来る。

名前を呼び、頬をはたき、布団を剥ぐ。
頬は痛いし布団を剥がれて寒いけど、それよりもとにかく眠い方が切実なので眠る。

しかし父は諦めない。
自分の身支度をしながら、折をみて繰り返し起こしに来る。

何度も何度も頬をはたかれ、やっとぐずぐずと布団から出る。
そのままぐずぐずと着替えて、ぐずぐずと朝食の席につき、ぐずぐずと食べていると母が手早く私の髪の毛を結ってくれる。
髪の毛を結わえられながらご飯を食べる。卵かけご飯なんかを服にこぼしたりする。

子供はお化粧をしない。
ご飯を食べ終われば、顔を洗って、歯磨きをして、昨夜のうちに母に何度も促された挙げ句いやいや準備しておいたランドセルを背負って出発する。

それでも、小学生の頃は「早く寝なさい」と強制的に寝かせられていたのでまだマシだった。

中学生になると自室が与えられ、さらに「もう大きくなったから」と親もそこまで注意しなくなった。
結果、一気に夜型になった。
折しも中学からの新しい友達に貸してもらった漫画やラノベが面白すぎて、自分でもお小遣いで少しづつ買い集めては夜な夜な何度も繰り返し読みふけった。
朝はまた親が起こしてくれるのでなんとか学校に行くものの、日中はとにかく眠くてたまらなかった。
休み時間に机に突っ伏して寝始め、そのまま授業が始まり、起きたらすっかり授業が終わっていたことも何度もあった。

高校もそんな感じだった。
ただ一点変わったのは、授業の情報量が格段に増えて、その場で理解および記憶しきれなくなった。

私はずっと、勉強というか、自習ができなかった。
根が真面目なので自室で机に向かうも、全くやる気が起きず、気が付いたらすぐにノートに落書きをしていた。
これではいけない、まずは気分転換、と本を読み出すと、いつまでも気分が転換せず、ずっと本を読み続けることになって困惑することもしばしばあった。
塾の自習室や図書室も効果がなかった。勉強道具以外何もないスペースで、私は長時間一体何をしていたのだろう。

とにかくずっと頭の中が霞がかかったように眠くてちらかっていて常にお腹が空いていたような記憶がある。


しかしまあなんとか地方の国立大学に合格した。

流石に自分の「自習ができない」という性質には気が付いており、浪人するとさらに成績が下がる自覚があったため、合格した大学に進学することに決めた。
ちなみにこの大学は、志望校でもなんでもない。
たまたまセンター試験の配分で合格可能性が高かったから試しに願書を出してみたところ合格し、そのまま通学することに決めてしまった。今考えるとその適当さに「そりゃないだろ」と思うが、当時は「まあ、それもありかな」程度の認識だった。

 

こうして大学から一人暮らしが始まった。
一人暮らしはもうやりたい放題で、深夜のNHKの環境映像を流しながら延々と2chを読み、明け方に体力が尽きて寝落ちするという毎日を繰り返していた。

こんな状態なので普通は単位を落としまくって留年しそうなものであるが、父から「バイトはしなくていい。そのかわり留年だけは絶対にするな。お金がとてもかかるから」と厳しく言われていたため、なんとか単位は順調に取得し、留年せずに卒業することができた。

なぜ単位を取得できたのか、全く記憶がなく、ミラクルと言うほかない。

ただ、大学から徒歩3分という場所に住んでいたのが大きく貢献した気はする。空きコマやお昼休みなど隙あれば家に帰ってごろごろしていた。

 

大学で学んだことをもう少しだけやっておきたいな、と思ったので地元に戻って大学院に進み、人生の夏休みを2年間延長した。
大学院は山の中にあり、私は実家から車で通った。
お昼頃に行って深夜に帰る生活を続けていたら、親から「心配して起きて待ってしまうけど、そしたらこちらの身体の調子が悪くなる」と言われ、ひとしきりもめた挙句、実家の近くで賃貸物件に住んだ。

大学院は楽しかったが、研究対象の植物にはとても手を焼かされた。
「また明日やろう」と後回しにしたが最後、たちまち数日経ち、作業にちょうどいい時期が過ぎてしまった植物を前に後悔することがよくあった。

 

実験の傍ら、就職活動も進めた。

本当は働きたくなかったが、残念ながら富豪の家ではないので働かざるをえない。

これといった志望動機もなく就活には苦戦したが、なんとか某SIerの内定をいただくことができた。未だにどこが採用のポイントになったのか分からないが、まあ受かってしまえばこちらのものである。

 

こうして社会人生活が始まった。

ここまで浪人・留年なしのストレート。傍からみるとわりと順風満帆かもしれない。

ただ、自分としては、観念、のような気持ちが強かった。

これからは自分でお金を稼いでいかないといけない。社会に出たら巻き込まれるであろう「大人の事情」とやらに全く付いて行ける気がしないし、そもそも何より毎日ちゃんと出社するというのが大変難しいように感じた。

 

懸念していた通り、社会人生活はとても大変だった。

新人だからなのかなんなのか、周りの方々に恵まれていたのか、事前に恐れていた「大人の事情」には巻き込まれなかった。もしくは巻き込まれても気付いていなかっただけなのかもしれない。とにかく、「大人の事情」で困ったことはなかった。

ただ、毎日ちゃんと出社するということについては大きな困難を極めた。なんとか出社するも、仕事中に耐え難い眠気が襲ってくる。

眠気に負けないために色々と試してみたが、全て失敗に終わった。

 

例えば眠気が来た時にしばらく廊下なんかを歩き回ってみたものの、全く眠気が解消されず、着席して仕事に向かおうとした10秒後には寝ていた。

それならば、と立って仕事をしてみたが、マウスを握りしめたままふらふらと横に振れながら眠ってしまい、全く仕事は進まなかった。これは悪目立ちしただけだったのですぐにやめた。

口に水を含んだまま仕事をしていたら緊張感で眠らないかも、と試してみたが、あえなく眠ってしまい、だばあと口から水が溢れて服がべちゃべちゃになった。

仮眠も試してみたが、5分や10分では眠気は解消せず、席に戻ってまた眠り続けてしまった。

カフェイン剤も全く効かなかった。

 

眠いのに必死に我慢していると、ディスプレイが緑に見えてくる。

ある日、ほぼ眠りながらわずかに残った意識を保とうとしていると、急激に「こんなものがあるからこんなに苦しい思いをしているのだ」と激しい憤りを感じ、衝動的にマウスをディスプレイに投げ付けて壊しそうになったが、手の筋肉を動かそうとした瞬間に意識がはっきりと覚醒し、とどまったことがあった。

 

上司はタフなガイで「仕事に緊張感を持っていれば、一瞬眠ってもやべえって思ってすぐに起きるだろ」と言っていたが、こちとらやべえと思っても起きられないのである。上司にも一度この狂おしいほどの眠気を仕事中に味わって欲しいと思った。

 

とは言え、常に眠っていたわけではない。

比較的眠気が少ない時には仕事をしていた。眠くて何もできない時間が日替わりで発生し、少ない日は10分程度、長い日は数時間。自分では全くコントロールできない。

「仕事、何もできなかった……今日の業務は『眠気に打ち勝つこと』だったな」と、大変疲れたわりに進捗は芳しくなく、ぐったりと帰る日もわりとあった。

 

幸い、職場は東京で、東京には病院がいっぱいあった。

日中に覚醒できる薬なんて都合のいいものはあるかしら、と、睡眠を専門にしている病院を受診してみた。

そこでは「睡眠時間が足りませんね。もっと早く寝るようにしましょう。寝つきをよくするために睡眠導入剤を出しておきますね。あと、睡眠時間の記録もとってみましょう」とのしごくまっとうな診断を受けた。

覚醒する薬が欲しかったのに、睡眠を導入する薬をもらってしまった。逆である。

 

せっかく処方された睡眠導入剤はうまく活用できなかった。

そもそも私は眠る準備をすることが大変苦手だった。よし、寝るぞ、と決心することに対して、大変な勇気がいる。なんでだろうと考えたところ、なんとなくその日にやり残したことがあるような気がして、眠ってはいけないような気がしているらしい、ということに気が付いた。

しかしそれが分かっても、なかなか夜に決まった時間に眠るのが難しかった。

結局、その病院は2回程通院して行かなくなってしまった。

 

何の解決もされず、仕事中に眠い日々は続く。

 

最初の通院から1年半程経ち、やはり辛い状況だったため別の病院に行ってみた。

山手線の駅から少し歩いた閑静な場所にあるその病院は、緑に囲まれ、古い公共施設のような印象のある建物だった。重厚と言えなくもないが、建物も待合室の雰囲気もなんだか暗くて冷え冷えとした雰囲気があるようで落ち着かなかった。

診察室に入り、以前別の病院に行ったことや、処方された睡眠導入剤をうまく活用できなかったことを伝えたが、診断は1件目の病院と同じだった。

その病院には二度と行かないことにした。

 

何の解決もされず、仕事中に眠い日々は続く。

 

さらに2年程経ち、さらに別の病院に行ってみた。そこは比較的新しく、前に病院を調べた時はまだ存在していないクリニックだった。

クリニックは綺麗で白くてルームフレグランスのいい香りがした。小柄で可憐な印象の看護師さんから初診用の問診票を渡され、記入して診察室へ入る。シンプルな部屋の中にシロクマの親子の置物やゾウの置物が控えめに配置されていて、いい感じだった。

日中大変眠くて、他の病院で睡眠導入剤を処方されたこともあるけど、そもそも夜寝る気になるのが難しい、と説明すると、先生はMacをタイピングしながら、なるほど、と言った。

そのまま問診が始まり、問診に答えていく中で、この先生なら大丈夫だということが分かった。問診は、単純に睡眠に関することだけではなく、落ち着きがないかとか、忘れ物が多いかとか、そういった内容に及んできた。

最後の質問に

「共感とかってよく分からないんですけど、会話術的に「ああ、それは大変だったね」とか言うようにしてます」

と答えると、先生は相変わらずMacをタイピングしながら、すばらしい、と言った。

 

そうして眠気覚ましと、睡眠導入剤が処方された。

 

翌日、さっそく眠気覚ましの薬をのんでみた。

脳がパキパキし、無理やり起きている感じがし、日中に眠気は全く来なかった。

頭の中に眠気という霞がもやもやと立ち込めそうなところを、薬がサーキュレーターのように強風を噴き出して、霞を追い払っているような感じがした。

こうして業務時間の全てを使って作業をすることができた。これは大変画期的であった。

翌日も薬をのみ、業務時間の全てを使って作業をすることができた。

翌日も、その翌日も。だんだんパキパキは気にならなくなってきた。たまに頭痛が来たらロキソニンで抑えた。

それからは仕事のある平日は薬をのみ、休日は脳を休めることにした。

最初こそ睡眠導入剤を使っていたものの、日中に無理やり起きていると夜に比較的スムーズに眠気が来ることが分かったので、ほどなく処方は眠気覚ましのみになった。

 

こうしてしばらく過ごした後、私は自分の人生に連続性が出てきたことに気が付いた。

これまではいくら努力しようとしても眠気や邪念が邪魔をして思うようにできなかった。

眠気や集中力や生産性は日替わりで、毎朝6面ダイスを3個振って判定、うまくいけばラッキーだしうまくいかないことの方が多い、というような毎日を送っていた。

「努力するのも才能のうち」なんて話があるが、私は壊滅的に努力ができず、結果、何も積み上げずに出たとこ勝負で乗り切ってきた。

しかし、この薬を飲んでいたら眠気に邪魔されずに努力ができる。受験の時にこの薬があれば……と思わずにはいられなかった。

 

しばらくこの薬を飲んでいたが、先生の勧めでコンサータに変えてみた。

コンサータはさらに画期的であった。

前の薬のようなパキパキ無理やり覚醒させられているような感じはなく、ごくごく自然に「え、ちょうどすっきり起きられた調子のいい日ですけど」みたいな使用感であった。

自分の脳の覚醒度が底上げされたような、そもそも霞が発生しないような感じ。

 

しかもコンサータにより、集中力が格段にアップした。

前の薬は眠気こそ掃えたものの、集中力にはあまり効果がなかった。

小さい自分がたくさんいて、それぞれがあっち向いたりこっち向いたり駆け出したり眠り込んだりするのを追いかけて集めてなだめて仕事に向かわせている感じ。自分を仕事にむかわせるのがとても大変だった。

一方、コンサータは小さい自分たちがみんないい子に前を向いて仕事をしてくれる。小さい私がみんな揃ったら強いぞすごいぞ。

 

こうして眠気という危機を乗り越え、気が付いたら社会人になって13年経っていた。

もう立派な中堅である。

 

さて、この13年の間に技術の進歩に合わせて社会の雰囲気も少しづつ変わり、フレックス制度や在宅勤務など、多様な働き方の導入が活発になってきた。

私が働いている会社も例外ではなく、私は大喜びでフレックス制度を活用し、ゆっくり起きて満員電車を回避した通勤をしていた。社会の成熟とはいいものである。

 

しかし残念ながらフレックス制度を使い過ぎた結果、なんかもう色々あって、休職を命じられてしまった。

せっかくなのでこの時間を利用して記録を書いてみたいと思い立ち、ブログを開設した次第である。

 

誰かが面白く読んでくださればとても嬉しいし、さらに欲を言えば一人でも困った人の役に立てると嬉しい次第。

 

それにしてもとても長くなってしまった。最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。

 

今日のまとめ

耐えがたく眠い時は病院に行って薬を処方してもらおう