いつも低空飛行

子供の頃から朝が苦手だった。

枕元に置いたロボット型の目覚まし時計が「ピッピッピ 時間ですよ」と繰り返すのを、おへそのボタンを押して止められればまだいい方。
大抵は「ピッピッピ 時間ですよ ピッピッピ 時間ですよ ピッピッピ 時間ですよ ピッピッピ 時間ですよ 」を聞きながら、そのまま眠り続けた。

母は朝食やお弁当の準備で忙しいので、父が起こしに来る。

名前を呼び、頬をはたき、布団を剥ぐ。
頬は痛いし布団を剥がれて寒いけど、それよりもとにかく眠い方が切実なので眠る。

しかし父は諦めない。
自分の身支度をしながら、折をみて繰り返し起こしに来る。

何度も何度も頬をはたかれ、やっとぐずぐずと布団から出る。
そのままぐずぐずと着替えて、ぐずぐずと朝食の席につき、ぐずぐずと食べていると母が手早く私の髪の毛を結ってくれる。
髪の毛を結わえられながらご飯を食べる。卵かけご飯なんかを服にこぼしたりする。

子供はお化粧をしない。
ご飯を食べ終われば、顔を洗って、歯磨きをして、昨夜のうちに母に何度も促された挙げ句いやいや準備しておいたランドセルを背負って出発する。

それでも、小学生の頃は「早く寝なさい」と強制的に寝かせられていたのでまだマシだった。

中学生になると自室が与えられ、さらに「もう大きくなったから」と親もそこまで注意しなくなった。
結果、一気に夜型になった。
折しも中学からの新しい友達に貸してもらった漫画やラノベが面白すぎて、自分でもお小遣いで少しづつ買い集めては夜な夜な何度も繰り返し読みふけった。
朝はまた親が起こしてくれるのでなんとか学校に行くものの、日中はとにかく眠くてたまらなかった。
休み時間に机に突っ伏して寝始め、そのまま授業が始まり、起きたらすっかり授業が終わっていたことも何度もあった。

高校もそんな感じだった。
ただ一点変わったのは、授業の情報量が格段に増えて、その場で理解および記憶しきれなくなった。

私はずっと、勉強というか、自習ができなかった。
根が真面目なので自室で机に向かうも、全くやる気が起きず、気が付いたらすぐにノートに落書きをしていた。
これではいけない、まずは気分転換、と本を読み出すと、いつまでも気分が転換せず、ずっと本を読み続けることになって困惑することもしばしばあった。
塾の自習室や図書室も効果がなかった。勉強道具以外何もないスペースで、私は長時間一体何をしていたのだろう。

とにかくずっと頭の中が霞がかかったように眠くてちらかっていて常にお腹が空いていたような記憶がある。


しかしまあなんとか地方の国立大学に合格した。

流石に自分の「自習ができない」という性質には気が付いており、浪人するとさらに成績が下がる自覚があったため、合格した大学に進学することに決めた。
ちなみにこの大学は、志望校でもなんでもない。
たまたまセンター試験の配分で合格可能性が高かったから試しに願書を出してみたところ合格し、そのまま通学することに決めてしまった。今考えるとその適当さに「そりゃないだろ」と思うが、当時は「まあ、それもありかな」程度の認識だった。

 

こうして大学から一人暮らしが始まった。
一人暮らしはもうやりたい放題で、深夜のNHKの環境映像を流しながら延々と2chを読み、明け方に体力が尽きて寝落ちするという毎日を繰り返していた。

こんな状態なので普通は単位を落としまくって留年しそうなものであるが、父から「バイトはしなくていい。そのかわり留年だけは絶対にするな。お金がとてもかかるから」と厳しく言われていたため、なんとか単位は順調に取得し、留年せずに卒業することができた。

なぜ単位を取得できたのか、全く記憶がなく、ミラクルと言うほかない。

ただ、大学から徒歩3分という場所に住んでいたのが大きく貢献した気はする。空きコマやお昼休みなど隙あれば家に帰ってごろごろしていた。

 

大学で学んだことをもう少しだけやっておきたいな、と思ったので地元に戻って大学院に進み、人生の夏休みを2年間延長した。
大学院は山の中にあり、私は実家から車で通った。
お昼頃に行って深夜に帰る生活を続けていたら、親から「心配して起きて待ってしまうけど、そしたらこちらの身体の調子が悪くなる」と言われ、ひとしきりもめた挙句、実家の近くで賃貸物件に住んだ。

大学院は楽しかったが、研究対象の植物にはとても手を焼かされた。
「また明日やろう」と後回しにしたが最後、たちまち数日経ち、作業にちょうどいい時期が過ぎてしまった植物を前に後悔することがよくあった。

 

実験の傍ら、就職活動も進めた。

本当は働きたくなかったが、残念ながら富豪の家ではないので働かざるをえない。

これといった志望動機もなく就活には苦戦したが、なんとか某SIerの内定をいただくことができた。未だにどこが採用のポイントになったのか分からないが、まあ受かってしまえばこちらのものである。

 

こうして社会人生活が始まった。

ここまで浪人・留年なしのストレート。傍からみるとわりと順風満帆かもしれない。

ただ、自分としては、観念、のような気持ちが強かった。

これからは自分でお金を稼いでいかないといけない。社会に出たら巻き込まれるであろう「大人の事情」とやらに全く付いて行ける気がしないし、そもそも何より毎日ちゃんと出社するというのが大変難しいように感じた。

 

懸念していた通り、社会人生活はとても大変だった。

新人だからなのかなんなのか、周りの方々に恵まれていたのか、事前に恐れていた「大人の事情」には巻き込まれなかった。もしくは巻き込まれても気付いていなかっただけなのかもしれない。とにかく、「大人の事情」で困ったことはなかった。

ただ、毎日ちゃんと出社するということについては大きな困難を極めた。なんとか出社するも、仕事中に耐え難い眠気が襲ってくる。

眠気に負けないために色々と試してみたが、全て失敗に終わった。

 

例えば眠気が来た時にしばらく廊下なんかを歩き回ってみたものの、全く眠気が解消されず、着席して仕事に向かおうとした10秒後には寝ていた。

それならば、と立って仕事をしてみたが、マウスを握りしめたままふらふらと横に振れながら眠ってしまい、全く仕事は進まなかった。これは悪目立ちしただけだったのですぐにやめた。

口に水を含んだまま仕事をしていたら緊張感で眠らないかも、と試してみたが、あえなく眠ってしまい、だばあと口から水が溢れて服がべちゃべちゃになった。

仮眠も試してみたが、5分や10分では眠気は解消せず、席に戻ってまた眠り続けてしまった。

カフェイン剤も全く効かなかった。

 

眠いのに必死に我慢していると、ディスプレイが緑に見えてくる。

ある日、ほぼ眠りながらわずかに残った意識を保とうとしていると、急激に「こんなものがあるからこんなに苦しい思いをしているのだ」と激しい憤りを感じ、衝動的にマウスをディスプレイに投げ付けて壊しそうになったが、手の筋肉を動かそうとした瞬間に意識がはっきりと覚醒し、とどまったことがあった。

 

上司はタフなガイで「仕事に緊張感を持っていれば、一瞬眠ってもやべえって思ってすぐに起きるだろ」と言っていたが、こちとらやべえと思っても起きられないのである。上司にも一度この狂おしいほどの眠気を仕事中に味わって欲しいと思った。

 

とは言え、常に眠っていたわけではない。

比較的眠気が少ない時には仕事をしていた。眠くて何もできない時間が日替わりで発生し、少ない日は10分程度、長い日は数時間。自分では全くコントロールできない。

「仕事、何もできなかった……今日の業務は『眠気に打ち勝つこと』だったな」と、大変疲れたわりに進捗は芳しくなく、ぐったりと帰る日もわりとあった。

 

幸い、職場は東京で、東京には病院がいっぱいあった。

日中に覚醒できる薬なんて都合のいいものはあるかしら、と、睡眠を専門にしている病院を受診してみた。

そこでは「睡眠時間が足りませんね。もっと早く寝るようにしましょう。寝つきをよくするために睡眠導入剤を出しておきますね。あと、睡眠時間の記録もとってみましょう」とのしごくまっとうな診断を受けた。

覚醒する薬が欲しかったのに、睡眠を導入する薬をもらってしまった。逆である。

 

せっかく処方された睡眠導入剤はうまく活用できなかった。

そもそも私は眠る準備をすることが大変苦手だった。よし、寝るぞ、と決心することに対して、大変な勇気がいる。なんでだろうと考えたところ、なんとなくその日にやり残したことがあるような気がして、眠ってはいけないような気がしているらしい、ということに気が付いた。

しかしそれが分かっても、なかなか夜に決まった時間に眠るのが難しかった。

結局、その病院は2回程通院して行かなくなってしまった。

 

何の解決もされず、仕事中に眠い日々は続く。

 

最初の通院から1年半程経ち、やはり辛い状況だったため別の病院に行ってみた。

山手線の駅から少し歩いた閑静な場所にあるその病院は、緑に囲まれ、古い公共施設のような印象のある建物だった。重厚と言えなくもないが、建物も待合室の雰囲気もなんだか暗くて冷え冷えとした雰囲気があるようで落ち着かなかった。

診察室に入り、以前別の病院に行ったことや、処方された睡眠導入剤をうまく活用できなかったことを伝えたが、診断は1件目の病院と同じだった。

その病院には二度と行かないことにした。

 

何の解決もされず、仕事中に眠い日々は続く。

 

さらに2年程経ち、さらに別の病院に行ってみた。そこは比較的新しく、前に病院を調べた時はまだ存在していないクリニックだった。

クリニックは綺麗で白くてルームフレグランスのいい香りがした。小柄で可憐な印象の看護師さんから初診用の問診票を渡され、記入して診察室へ入る。シンプルな部屋の中にシロクマの親子の置物やゾウの置物が控えめに配置されていて、いい感じだった。

日中大変眠くて、他の病院で睡眠導入剤を処方されたこともあるけど、そもそも夜寝る気になるのが難しい、と説明すると、先生はMacをタイピングしながら、なるほど、と言った。

そのまま問診が始まり、問診に答えていく中で、この先生なら大丈夫だということが分かった。問診は、単純に睡眠に関することだけではなく、落ち着きがないかとか、忘れ物が多いかとか、そういった内容に及んできた。

最後の質問に

「共感とかってよく分からないんですけど、会話術的に「ああ、それは大変だったね」とか言うようにしてます」

と答えると、先生は相変わらずMacをタイピングしながら、すばらしい、と言った。

 

そうして眠気覚ましと、睡眠導入剤が処方された。

 

翌日、さっそく眠気覚ましの薬をのんでみた。

脳がパキパキし、無理やり起きている感じがし、日中に眠気は全く来なかった。

頭の中に眠気という霞がもやもやと立ち込めそうなところを、薬がサーキュレーターのように強風を噴き出して、霞を追い払っているような感じがした。

こうして業務時間の全てを使って作業をすることができた。これは大変画期的であった。

翌日も薬をのみ、業務時間の全てを使って作業をすることができた。

翌日も、その翌日も。だんだんパキパキは気にならなくなってきた。たまに頭痛が来たらロキソニンで抑えた。

それからは仕事のある平日は薬をのみ、休日は脳を休めることにした。

最初こそ睡眠導入剤を使っていたものの、日中に無理やり起きていると夜に比較的スムーズに眠気が来ることが分かったので、ほどなく処方は眠気覚ましのみになった。

 

こうしてしばらく過ごした後、私は自分の人生に連続性が出てきたことに気が付いた。

これまではいくら努力しようとしても眠気や邪念が邪魔をして思うようにできなかった。

眠気や集中力や生産性は日替わりで、毎朝6面ダイスを3個振って判定、うまくいけばラッキーだしうまくいかないことの方が多い、というような毎日を送っていた。

「努力するのも才能のうち」なんて話があるが、私は壊滅的に努力ができず、結果、何も積み上げずに出たとこ勝負で乗り切ってきた。

しかし、この薬を飲んでいたら眠気に邪魔されずに努力ができる。受験の時にこの薬があれば……と思わずにはいられなかった。

 

しばらくこの薬を飲んでいたが、先生の勧めでコンサータに変えてみた。

コンサータはさらに画期的であった。

前の薬のようなパキパキ無理やり覚醒させられているような感じはなく、ごくごく自然に「え、ちょうどすっきり起きられた調子のいい日ですけど」みたいな使用感であった。

自分の脳の覚醒度が底上げされたような、そもそも霞が発生しないような感じ。

 

しかもコンサータにより、集中力が格段にアップした。

前の薬は眠気こそ掃えたものの、集中力にはあまり効果がなかった。

小さい自分がたくさんいて、それぞれがあっち向いたりこっち向いたり駆け出したり眠り込んだりするのを追いかけて集めてなだめて仕事に向かわせている感じ。自分を仕事にむかわせるのがとても大変だった。

一方、コンサータは小さい自分たちがみんないい子に前を向いて仕事をしてくれる。小さい私がみんな揃ったら強いぞすごいぞ。

 

こうして眠気という危機を乗り越え、気が付いたら社会人になって13年経っていた。

もう立派な中堅である。

 

さて、この13年の間に技術の進歩に合わせて社会の雰囲気も少しづつ変わり、フレックス制度や在宅勤務など、多様な働き方の導入が活発になってきた。

私が働いている会社も例外ではなく、私は大喜びでフレックス制度を活用し、ゆっくり起きて満員電車を回避した通勤をしていた。社会の成熟とはいいものである。

 

しかし残念ながらフレックス制度を使い過ぎた結果、なんかもう色々あって、休職を命じられてしまった。

せっかくなのでこの時間を利用して記録を書いてみたいと思い立ち、ブログを開設した次第である。

 

誰かが面白く読んでくださればとても嬉しいし、さらに欲を言えば一人でも困った人の役に立てると嬉しい次第。

 

それにしてもとても長くなってしまった。最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。

 

今日のまとめ

耐えがたく眠い時は病院に行って薬を処方してもらおう